見えにくい成年後見のいいところ
Aさんの金融政策の基調は著しく緩和に傾斜していった。
前任者のPさんは常に金融引き締めを意識して、それまで一○%を超えるインフレが続いていたアメリカ経済からインフレを払拭した。
しかし、そのことであらゆる分野との摩擦が広がった。
特に規制緩和による企業刺激を政策に掲げるR政権は、金融引き締めのPさんが邪魔になり、R派の理事をFRBに送り込んで事実上「理事会の議題を書く以外の仕もたなくなり、理事会の議題を書く以外の仕事ができなくなることをいつも認識していた事ができなくなる」ようにしてしまった。
これはPさんの辞任騒ぎに発展し、R政権のほうが引くことで最悪の事態は回避されたが、こうした歴史的事実を思い出しながら読めば、Aさん自伝に込められた意味も分かろうというものである。
ことにAさんは政府との関係については、細心の注意を払ったことが推測される。
Hさんは『検証Aさん神話』(アスベクト)で、歴代FRB議長のなかでも、最も頻繁に大統領と会ったのがAさんだったと指摘している。
もちろん、Aさんは政権の言うままに金融政策を実行したのではないだろう。
しかし、他のFRB議長より頻繁に政権に気を使ったことは否定できない。
金融緩和はバブルさえ起こさなければ、ウォール街にも喜ばれ、株式漬けになっているアメリカ国民にも有難く思われ、政府にとっても好ましいものだ。
事実、Aさんは共和党のB父子政権にも民主党のK政権にも評判がよかった。
これがすべての人に称賛される、Aさん金融政策の単純な「秘密」なのである。
アメリカ国民は経済危機が訪れるたびにAさんが何かしてくれることを期待し、Aさんはそれに応え続けた。
アメリカ国民は、経済が後退するとAさんが出てきて何かしてくれることを「Aさん・プット」と呼ぶようになるが、このグリ九○年代のアメリカとAさんは「ラック」だったそれでは、Aさんが九○年代初頭にみせた「神の如き」金融政策とは何だったのだろうか。
なぜ、K政権が増税を実施しているなかで、Aさんは金融政策だけで景気を回復できたのだろうか。
AさんFRB議長の下で、二年間、副議長を務めたO大学教授のBさんは、C大学教授Jさんとの共著『良い政策悪い政策』のなかで、あっさりと「ラック(幸運)」だったからと断言している。
Aさん・プットの行き着く先が、住宅バブルとその崩壊だった。
もちろんBさんはFRBの政策が間違っていたとは言っていないが、次のように述べているのは、皮肉なニュアンスが感じられる。
幸運な状況、市場心理、予算合意の特徴がうまくかみあって、一九九三年に債権相場が上昇した。
この組み合わせを繰り返し再現できるとは思わないので、財政政策引き締めが九○年代のFRBによる金融政策を分析した、同じくO大学教授のGさんの結論も、Aさんに対して冷たい。
九○年代に需要も供給も安定した状態を維持したのは「ラック」であるに過ぎず、労働生産性が向上したのも「ラック」だったという。
すべて景気を刺激するものになるとは考えないし、大部分の場合にそうなるとも考えない。
九○年代のインフレの低さと経済の安定性は、自由裁量的な金融政策がうまく機能しうることを示してはいる。
とはいえ、将来の政策決定者にとって遺産といえるようなものはほとんど何もない。
九○年代の評価が、もしこの程度のものであるとするならば、二○○○年代に入ってからのAさんの金融政策も期待できるものではありえなかった。
その場合、ITバブルと住宅バブルにどのように対処したかが問題となるが、いまやほとんどの観察者が称賛する。
Aさんに何か特別な、未来を見通すような能力はなかったことが、今回の金融危機で誰の目にも明らかになった。
しかし、実は、AさんがFRB議長に就任した翌年に、そのことは露呈していたのだ。
八八年、アメリカ特有の住宅専門金融機関である貯蓄貸付組合が、つぎつぎに不祥事によって破綻した。
政策ミスによる逆ざやが続出して、経営危機に陥った貯蓄貸付組合に対し、R政権は融資条件の緩和と損失の補償という救済策を発動したため、悪用して乱脈融資を行なう貯蓄貸付組合が続出した。
なかでもR組合は、その乱脈ぶりにおいて群を抜いていた。
代表であるCさんは、自分の経営する会社が巨大なホテルを建設するさいに、R組合から野放図に融資させた。
やがて完成した桃色大理石で飾られたホテルで、彼は夜な夜なパーティを開き、各界の有名人を大勢招待した。
R組合の新経営者、およびその親会社であるA社の経営者は、直接投資の選択と実施において習熟かつ練達の域にある。
新経営者は、主に着実で高利率な直接投資についての専門的な選択によって、高い純利を維持し、活気があり健全な経営状態を強化している。
そのなかには宇宙飛行士から上院議員に転じたJさんや、共和党の大物であるMさんもいて、かなりの高額の政治献金が渡されていたことも発覚した。
この前後、貯蓄貸付組合問題の解決をはかるため顧問委員会が組織され、FRB議長のAさんもそのメンバーに加えられたが、彼にとっては針のムシロの始まりだった。
というのは、八五年、Aさんがまだ民間のコンサルタントだった時代、頼まれてR組合の経営状態についての公的レポートを書いていたからである。
しかも、AさんはR組合からかなり高額の顧問料ももらっていた可能性が高かった。
この「お墨付き」というべきレポートには、二○○八年十月の弁明と、何と似ていることだろうか。
もちろん、人間には神の如き洞察力はない。
「彼らが最終的に起こす事件について見誤った」のは当然だろう。
しかし、アメリカ国民が知りたかったのはそんなことではない。
調べれば分かるものを、なぜ、調べずに小銭稼ぎのレポートを書いたかということだった。
Aさんは何も調べてはいなかったのだ。
しかし、司法省はAさんを法的に追及することはなかった。
というのは、このレポートは民間時代のものであり、金銭の授受も民間コンサルタントとしてのものだったからだ。
それでもマスコミはしつこく追及して、Aさんはニューヨークタイムズ紙のインタビューに不承不承答えている。
R社の職員に最初に会ったとき、彼らは、自分たちがしていることについて分かっている、道理をわきまえた、常識的な人たちだとの印象を受けました。
もちろん、私は実際に起こったことを見通すことが出来なかったことを恥じています。
私はR社について見誤った。
彼らが最終的に何をするか、そして、彼らが最終的に起こす事件について見誤ったのです。
Aさんは十八年もの在任中に得た名声を、辞任後も十分に利用してきた。
在任中には発言が屈折していて「フェド・スピーク(FRB風の話し方)」と称された。
これは、わざと分かりにくくした言葉を発し、市場やジャーナリズムの反応をうかがうためだった。
ところが、辞任後に世界中を講演して回る彼の発言の明快さに人々は驚いた。
二○○七年二月、中国株が下落したさいにも「アメリカの景気は年末にかけて後退する可能性がある」と明瞭に述べ、同年五月には「中国株価ブームは持続不可能」と断じるなど、こんどは直言そのものなのである。
お陰でその度ごとに世界中の株価は乱高下した。
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